つれづれなるままに~日々是好日 長崎マニア 

北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。

長崎県庁を背に立つと正面には国道34号線が延びていて、その路面を頂点としてうつ伏せの背中に例えると、その両脇には肋骨のように坂が幾筋もある。

早い話、細い台地になってるわけですね。この台地、現在の桜町辺りから延びているんだけど、これ実は海に突き出た半島だったわけです。つまり、昔はながーい岬(崎)、だから長崎というわけです。海が無いって?周囲は埋め立てたんですよ。

以後よく広がるキリスト教ってわけで、1549年にフランシスコ・ザビエルがやって来ました。種子島に鉄砲を置いて帰ったわけではなく、九州で布教活動を始めました。日本では室町時代です。そんな時、当時、森崎と呼ばれていたその小さな半島をある領主がイエスズ会に寄進します。その森崎の先端部に教会ができて、教会周辺にいわゆるキリシタンが九州各地から移り住み、町が拡がりました。

これが、長崎の始まりです。

ですから、古い町名には九州各地の地名が付いていました。

布教活動ができなくなった後に教会は取り壊され、小さな半島の先には長崎奉行所ができて、鎖国されるとその前に扇型の人工島『出島』が造られました。

その後、どんどん埋め立てられ出島も島ではなくなり、長崎奉行所も無くなって現在は長崎県庁が建っている次第です。

そんなわけで、路面電車が走っている界隈や長崎駅周辺といった市街地のほとんどは以前は海だったわけで、市街地にある『崖』は時代毎の海岸線なのです。

以前、『ブラタモリ』でも紹介されていましたが、マニアにすればちょっと物足らなくて、できれば、県庁正面の県庁坂通りの国道324号線と202号線の上がり下がりで地形を実感する、なんていうのもやってもらいたかったなぁ、と。

ちなみにこの辺り、町名を『万才町』(まんざいまち)といいますが、旧かな使いでは『萬歳町』と書き、つまりは『バンザイマチ』で、明治5年の天皇行幸の際、この付近に宿泊し、市民が万歳三唱したいう日本における『バンザイ発祥の地』らしいのです。

こんなウラ話も付け足してくれれば、マニアも満足するんですけどね。

今は少し狭くなったこの入り江が、かつては日本の窓口として世界に開かれていたんですね。


当事業所は安心の長期雇用・高待遇をキーワードに、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンという家電製品のリサイクルを業務にしている会社です。

元気いっぱい中高年の方を中心とした活気ある職場です。共に頑張り若松エコタウンを盛り上げましょう。

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