つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言⑫
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言⑫ です★
~吉田松陰先生 番外編~
萩の城下町を歩いていると至るところに夏みかんがなっています。
木戸孝允旧宅横の駐輪場脇には、美味しそうな果実を実らせた木が無防備に立ち並んでいます。枝から落ちて地面で腐らせてしまうのも木にとっては養分となって良いのでしょうが、夏みかんとはそもそも人が食べるためにあるのです。
そんなことを考えながら木を見ていると、夏みかんの木の可愛らしい妖精が、『せっかく遠くから来たんだし、ひとつ持ってお帰りなさいよ』って言ってくれるので、ひとつだけ、連れて帰りました。西へ伸びる高速道路を走る車内は甘い香りでいっぱいになりました。
萩の城下町界隈で夏みかんが栽培されるようになった理由は、維新によって藩が消滅し武士に禄が支給されなくなり、生活苦を少しでもしのぐためのもので、私の食後のテーブルを彩るものではありません。
維新後、高杉晋作さんのご家族は肩身の狭い思いで過ごされています。
本来なら、ちゃんと禄を貰って何不自由なくのんびりと生活できていたのに、長州藩をひっくり返して幕府まで倒し、おまけに武士の身分まで剥奪されたとの不満がすべて向けられたのだそうです。身内の女性は、嫁ぎ先すら無かったらしいです。相当なものですね。
ただ、高杉さん自身は奇兵隊という町人や農民主体の軍隊の総督でしたが、彼自身は階級意識がとても強く、
『オレは武士だ。お前らとは身分が違う』的な人物でした。
そもそも奇兵隊の『奇』とは、『怪しい』とか『普通ではない』という意味で、当時は戦争をするのは『武士』ですからこの隊名が付きました。
高杉晋作さんの写真は何枚か残されていて、『乗った人より馬が丸顔』と陰口を言われていたというエピソードが真実であったことを今に伝えています。
直立した写真が残っていないのは、恐らく背が低いことへのコンプレックスだと思われます。椅子に腰掛けた1枚もよく見ると持っている刀が長すぎる感じです。
撫で肩で華奢な体つきで、つま先を立てていますよね。ひょっとしたら、150cm無かったのかもしれません。
そんな彼を伊藤博文さんは『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し』と評しているくらいなので、よほど怒られていたのかも知れません。
『おい、利助(伊藤さんの幼名)。塾の周囲をもっと綺麗に掃いておくんだぞ』
ですから松下村塾は昔からずっと綺麗で、現在も継承されているのでしょう。
ちなみに、伊藤さんは大の女性好きで掃いて捨てるほどお付き合いしていたので、『ほうき』いうアダ名でした。
『美味しく実った頃にまたいらっしゃいな。夏みかんは人が食べるためにあるんですもの』
そんな妖精の声が届いたら、萩へ出かけてみませんか。
さあ、お仕事始めましょうか。
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