つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉑
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㉑ です★
大津事件 ニコライ2世の受難②
とりあえずニコライさんは京都の宿泊先の常盤ホテル(現在の京都ホテルオオクラ)で静養し、神戸に停泊していたロシアの軍艦へと向かいました。
明治天皇もお見舞いに駆けつけ、もし拉致でもされたら、なんて心配もありましたが、事なきを得、ニコライさんご一行様もウラジオストクへ向かいました。
国内では、津田巡査を死刑にするか否かで法曹界は大論争を巻き起こします。ただ、国内に殺人未遂で死刑にする法律はありませんから、皇族に対する罪として『大逆罪』を適用しようとしますが、伊藤博文や現在の最高裁判所長官にあたる児島惟謙(こじま いけん)は大反対します。
『都合によって、法律を変えたりするのは法治国家とは言えない。そんな調子だから、いつまでも西欧列強にナメられるんだ』的な意見が通って死刑は実施されず、津田巡査は無期懲役になり、後に獄中で病死してしまいました。
ロシア側も、なんとなく死刑をチラつかせましたが、もし日本側が死刑を申し出れば、『まあ、そこまでしなくてもいいんじゃないの?もう怒っていないからさあ』とばかりに、寛大さをアピールする腹でした。
法治国家をアピールしている日本に対し、死刑や賠償金とか領土の割譲などを求めると、逆に軍事力による力で押してくる野蛮な侵略国家の烙印を諸外国から押される可能性があったからですね。
そんなこんなで、なんとか国難を乗り切って一件落着といきたいところなのですが、まだまだドラマは続くのです。
事件当日、津田巡査を取り押さえニコライさんの命を救った二人の英雄がいました。
人力車の車夫です。
この二人、ニコライさんを助けたいうことでロシアから勲章と報奨金2,500円(現在の金額で約1,000万円)と終身年金1,000円が与えられました。
一人は使い方を誤って後に刑務所に入りましたが、もう一人は土地を買い地主となり、郡会議員になりました。
ところが、明治37年(1904)に日露戦争が勃発してしまい、当時は皇太子だったニコライさんは皇帝になっていて、対戦国の元首でしたからそこからの終身年金がアダとなって、『おまえは、ロシアのスパイだろ!』なんて言われる始末。
義理堅いというかなんというか、さすがに戦争中は日本政府も拒否したそうですが、革命が起きてロシア帝国が消滅するまで、その年金は送られて来たそうですよ。
その後、ニコライさんとその家族はロシア革命の際に全員銃殺に処せられます。
しかし、第四皇女のアナスタシアだけは生きているらしいとのウワサが絶えず、イングリッド・バーグマン主演の映画『追想』やアニメ『アナスタシア』などが製作され、20世紀の歴史ミステリーに花を添えていましたが、1991年にエカテリンブルク近郊の森においてニコライ2世一家と使用人達らしい遺骨が大量に発掘され、DNA鑑定の結果、ニコライ2世家族全員が次第に判明して『アナスタシア伝説』もついに終焉を迎えました。
この時、鑑定に使用されたDNAの出所は大津で津田三蔵に斬りつけられた際に、傷口を押さえたハンカチとその時に着ていたニコライさんのシャツの血だったと言われています。
ニコライさんが家族との絆を証明したものは、その昔、大津で流した自身の血液だったというわけです。
歴史とは、本当に面白いものですねえ。
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