つれづれなるままに~日々是好日 歴史好きの独り言㉚
北九州市若松区のエコタウン内にあるヒューマンブリッジ株式会社NKRC事業所です。
歴史好きの独り言㉚ です★
日本海海戦③ 本日天気晴朗なれども波高し
秋山さんの悩みを解消したのは、東郷さんの『敵は必ず対馬に来る』の一言でした。
この一言で東郷さんは世界海戦史に残る偉大な提督の一人になりました。
敵発見の第一報が届いたとき、秋山さんは甲板上で嬉しさのあまり踊りだしたそうです。
本来なら一本の線となって砲戦するのですが、うるさく付きまとう日本の哨戒艇を追い払うために隊列を変え、陣形を立て直し終わる前に日本艦隊に遭遇したためバルチック艦隊は3列縦隊になっていました。東郷さんが『ヘンな形』と言ったのはそのためです。
敵艦隊との距離が1万メートルになろうとする時、艦橋に立っていた東郷さんの右手が高く伸び、胸の前へと左に大きく回しました。
『取り舵一杯』、実際には『とぉぉーりかあぁーじ、いっぱい』とまあ、こんな具合に発声するんですけど、左に大きくカーブを始めました。
これが、秋山さんが古文書からヒントを得た『丁字戦法』という戦術で、敵艦隊の前方を艦隊が一列になって横切って敵の眼前に常に横に広がったまま砲撃するというもので、それまでの世界のどの海軍の教科書にもない戦法でした。
午後2時15分、連合艦隊は敵対距離6800メートルで砲撃を開始しました。
常に敵艦隊の前に展開し、激しい砲撃も受けましたが、30分ほどの戦闘でほぼケリがつき、旗艦のクニャージ・スヴォーロフ以下次々に撃沈、撃破して、21隻を撃沈、6隻を拿捕、6隻が中立国の港で武装解除という損害を与え、捕虜の中には司令官ロジェストヴェンスキーとネボガトフ提督もいるという状況で、日本側の損害は水雷艇3隻沈没という海戦史上に類を見ない一方的な勝利を収めました。
この勝利に世界中が驚きました。
植民地も持たない極東の小さな島国が、わずか三十数年で近代的海軍を築き、大国ロシアに勝利したわけですから。
しかし、この勝利をいちばん信じられずにいたのは作戦参謀の秋山さんでした。
連合艦隊司令長官東郷平八郎さんは、死後、神様になりました。
陸軍第3軍司令官の乃木稀典さんは、明治天皇崩御の際に殉死されました。
旅順要塞攻略の際、6万人を越える死傷者を出したことと、明治10年の西南戦争の際に軍旗を紛失した責任をとってのことでした。そして、やはり神様になりました。
東郷神社、乃木神社が福津市と下関市にそれぞれありますね。
ただ、秋山さんだけはずっと悩んでいました。自身があらゆる海軍の戦術を学び、古文書まで読破して完成させ、実際に勝利したのに、『なぜ、勝てたのだろう?』と不思議でなりません。
考えに考え抜いた結果、ついに結論を見つけ出します。それは『きっと、神様がお助けくださったに違いない』
帝国海軍随一の秀才と言われたあなたが、『そこ、ですか』って感じです。
いろんな宗教に入信したり、変な言動や奇行もあり、最近読んだ証言には衝撃的なもの(はっきり書きませんけど)もあったりして、複雑な戦後だったようです。
そして、虫垂炎を発症するわけですが、『祈念で治す』と意地を張り、腹膜炎を起こして亡くなりました。享年49。 海戦から12年後のことでした。
栄光の陰に様々な人間の人生があるようですね。
三島由紀夫さんが言うように、『誰もが知るように、栄光の味は苦い』ものなのでしょう。
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